今年の五冊


 だが今年度は読書量40パーセント減 これではいかんともしがたく、苦しまぎれに未読の五冊を選定 未読となれば、自分は国内の文芸、新刊となる 架空の小説をでっち上げ、書評する力技はこなせそうもないので実在する小説の架空「案内」とした 作品は書評欄や種々の広告をチラ見し、ぼんやり心に留まっていた何点から取り上げたもの 結果すこぶる無難なラインナップとなったのは広告の力だろうか 正確なタイトル、著者の確認以上は控えました(なのでもちろん内容はまるっきりの嘘、でたらめ、思いつき 参考にしないでね) おさまりわるし

伊井直行『ポケットの中のレワニワ』

 昭和46年、さる地方都市の団地に住む子どもらが柵のない屋上で摩訶不思議な生物と出くわし……藤子プロおなじみの設定で物語の幕は開ける ただし出会いと別れまでの期間はわずか一年、室町から続く渡来人が音頭を取る伝統的な川祭りの夜、脱走兵騒動と一人の少年の死で牧歌的な郊外の神話は終止符を打つ 下巻はそれぞれの二十年後 男は地元に残り健康センター勤務の公務員に、帰郷した女はオロゴン流暗殺術の使い手となっていた……今さらながらのからゆきさん問題(物腰の柔らかな娼婦は「レッドレター」なる政府の陰謀を緋文字で告発する体温の高いコミュニティ紙の発行人でもある)をしらじらと織り込む、甘く饐えた青春小説 尚、レワニワ富士と呼ばれる長閑な休火山は実在するとのこと 巻末解説は赤塚りえ子

下川博『弩(ど)』 

 戦国の城を舞台にした幻想小説 といっても雨雲に視界が遮られたカフカのそれではなく、エンデ的な硬質さ 高楼に幽閉された高位の人質の境遇を、著者は音楽家が運否、天賦自然を譜面に刻みつけるようにブラックビューティのモノトーンでつづった 天守閣の一角、急ごしらえの監獄に春陽が差し込む――吹きさらしに天鵞絨の覆いを掛けた独房唯一の明り取り、窓は漆喰に穿たれた矢狭間である 無聊をまぎらす為、狭間から下界を覗くのが囚人の日課となる そして武人は四角い枠中に夜明けのオイノコを従えた運命の女を捉え……小説中に仕掛けられたイルージョンは、中世のバラッドに謡われるかのファム・ファタールを巡る恋愛模様の絢爛さに目を奪うのを要所としておらず、人質の不易な日常に発現する 尋問係の若衆(小姓)と書見台を挟み対峙する場面――機能美を追求した筆致、ドライポイントの俯瞰図は、特異点が消失した律儀なエッシャーのだまし絵、記憶の中から掬い上げたドラ・マールの奥の横顔を眺めるが如く、読者を魅了してやまない 解説蜷川実花

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』

 好事家風にタイトルをもじれば「スカートの中の手帖」、「大跨びらきの世界」といったところ 自動チェス機械――いんちきからくり(人形)の張形に潜む少年の目を通した馥郁たるヨーロッパ史点描 故郷ハメルーンの石畳を起点に、味わい深い登場人物たち――愛と毒しか言葉に出せない画家、ペッピーノ一座、新大陸から来た酔いどれ紳士(探偵)、眠れる美女見世物小屋の女)――との邂逅、アンデスを越え約束の地チリへ旅立つ「茶色い服を着た」少年の砂糖菓子のようにきらめく冒険譚 小品だが「二十一世紀版ブリキの太鼓」といった評価もうなずく ラスト、着ぐるみヴィラン(Osito)を退け、貨物列車に意気揚々と乗り込む場面は、忍び寄る独裁者の暗雲を予感させ、やり切れぬ余韻を残した 解説須藤元気

 高村薫『太陽を曳く馬』 

 作者入魂の三部作の最終巻は、漱石『門』とアメリカ・インディアン神話を下敷きに僧門に於ける魂の殺人を描く 『薔薇の名前』ばりに重厚なミステリーであるが、ヒロインの造型が出色 女には向かない職業に就いたロペス三花――無造作に後ろに引っつめた髪、ゆったりしたブラウスに隠し切れない豊潤な肢体――は、簾の向こうで表情をこわばらせるやんごとなき姫の如く、事件現場であろうが、容疑者を前にしようが思いつめた表情で佇んでいるばかりで、まるで不用意な我が身の挙動が一瞬にして天変地異をもたらすと怖れているかのよう これほどの定番、手垢のついたキャラを出されては凡百の小説なら読者の方がよぽど怖気つくはずなのだが、本書はベタを突き詰めると極北に転じるという好例だ 映画化も予定されているそうだが、成否は稲森いずみ井川遥を兼ね備えた新人の発掘如何と断言する 個人的には草間夕子で確定だが、結局、黒木メイサのような旬の女優が射止めるのであろう 嘆かわしいことである 解説内田恭子×中沢新一

鹿島田真希『ゼロの王国』

フィネガンズ・ウェイク』に連なる所謂「文学の冒険」系 隠遁者であるアニメーターとその妻、妻の恋人、三様の意識を紡ぐ意欲的なプロットと微細な文体をモザイクになぞらえたレビューも読んだが、私的な点検では、ささやかな象嵌を、虚脱したタイルといったものを想起させられた 福祉財源で作った箱物――虎の威を借る事業団が造成した観光地に、本家を模してしつらえられたくすんだタイル 庭園の部分につつましく寄せられた、禿山に埋められた、シーズンオフ海上の所作無げな浮き台のようで、タイルの間には茫洋たる、鬱蒼なる、あっけからんと土くれが広がり……ちなみに廃車場の生活ゴミを漁る本書のカモメは一度も鳴きません(経営者の怒声"Rom!"は幾度も山間に鳴り渡る) 解説リービ英雄


 追加の一冊は正木ゆう子『夏至』で エアリアルの諦観、若しくは悪あがき、悪ふざけ



※少ないなりにまとめる事もできたが、キングの『悪霊の島』、ヒラリー・マンテルの『Wolf Hall』、『よみがえる鳥の歌』セバスティアン・フォークス、ついでに『やんごとなき読者』を読み残したまま、今年の五冊を選ぶのはちょっと抵抗あったのでした