無邪気な赤毛布ダイアリ御始末


 限定的でもtさんとgさんがリチャードさんの瑕疵を認識しているようなので(書き途中で論議は終了した様子 「誰に話し掛けているわけでもない」風に文を改め、IDをイニシャルに、トラックバックを外し、閑話をふんだんに付け加える) 
 件の記事は学生時代に英文のテキストで読んだ――相手の目を見て会話できないアジア系の少女が周囲から不誠実、やましい、隠し事があると誤解される――オフィスのエピソードに、「静かな声」の史観をまぶして焼き直せばこうなるのかなあと
 これが自分の主観(tさんの主観とは「主従」が逆ですね)
 自分は流暢に日本語を操る外国人、芸能人の知り合いができればなと夢想する子どもだった(今でもゲーリー・スナイダー海老蔵から気さくな賀状が届いたらなんて素敵だろうかと思う) そんな夢の友が頓珍漢な意見を口にしたなら、身の内は発言を聞き逃すため要素を捨象し、解体し、是の度合いを高めるべく奮闘してくれることでしょう ただし、同席した第三者が質した場合は、こねくりあげたぬるぬるを持ち出してまで問いを遮る労は執らない、というか慎まざるをえない 当人が不可解な罵倒を繰り返していたら尚更無理(実際は両者を引き離し、「あの無礼な馬鹿者は」と続く彼の怒り、愚痴が止むまで「うんうん」と曖昧に激昂を引き受けるだろう)
 たとえフィクション、あやしげな回想だろうが、感動にケチをつけられ、程度の低いもののように扱われるのは堪らないといった心情はわかる(ちなみに自分が最も心を動かされた文章は、『冷血』に収録された卑劣な窃盗犯が虚栄心でもって悩める若者にしたためた手紙)

 獄中の男が人々の援助(金品、あわよくば釈放運動まで)を当てにし、社会改良に情熱を傾ける篤信家(婦人?)を騙った詐欺事件の顛末を没後百年のリアリズム作家が書いていた
 不幸な巡り合わせで牢につながれ、暗澹たる囚人生活を経験するが、出所後は心優しき紳士から住まいと職の提供を受け、信仰と周囲の慈愛に庇護された安らかな日々を送る一人の男の生涯――を紹介する篤信家――と、多段構えでこの詐欺計画は実行される
 作家が賞賛したのは、主眼とする獄中にある己への支援を、ほんの付けたし、手記の脚注程度にさらりと忍ばせたぺてんの巧妙さだ
 人づてに知ったパンフに共鳴し、怒りや慈悲を喚起されたキリスト者たちを嘲笑することはできない よそ者だから、ただ貧しいからという理由で牢獄に叩き込まれる人々、悲惨な収容施設の実態――作家の言葉を借りればロシアの農奴並に虐げられた人々と、それに心を痛める市民は現実に存在していたわけです
 しかし、(勿論詐欺師はこんなミスはしなかったが)もしも「看守を嘲ったと難癖を付けられて吊るされた男がいた」、「朝食にトリネコの根が配られる」などとあったら?
「死んだ男の名は?」、「囚人に木の根皮をしゃぶらせ、公金を横領する所長がいたのか」といった確認作業は、貧しき者への共感、社会悪に憤る心情と相反する反応とはならないでしょう*1

「枝葉を透視し、根幹をみつけよ」なるありがたい教えがあるそうだけど、良くできたフィクションほど「枝葉の根幹」を大切にしている 先の米作家も聞き及んだアメリカインディアンの神話にいちゃもんをつけている 通りがかった男が樹上の精霊と会話する一幕で、一枚の布が話の途中で消失してしまうのですね 他は(愛もエコも)一切興味ない、身から外したた布切れは何処へ消えたのか?――地面に落ちのたか、懐にしまったのか、鳥に化身して湖の向こうに飛んでいったのか、何でもいいから始末をつけろと

 否定されているのは「感動」ではなく、不可解な希薄さといったもの(Aさんによれば事実を共有すること)だと思う 自分は歴史をエピソードの積み重ねで俯瞰し済ませる態度、歴史を物語とする手法には惹かれないが、刑死した兵士の真偽は、リチャードさんが開帳した物語(歴史)の根幹であり、まして談論風発を謳うブロガーであれば無下に放擲してはならぬ一枚だ(罵倒で回答を引き伸ばしたせいで、薄衣のパレオどころか身ぐるみ一式となってしまった観がありますが)
 磊落な書き飛ばしであろうが、一計を案じて周囲を固めた軟らかい箇所であろうが、問われた際は慎重に対応しなきゃならぬささくれであったのは相違ない 靖国にまつわる自論、戦犯裁判の評価といった「感慨」とは位相が異なり、裁判記録の確認の有無はその前段、史実に繋がる話(「個人的感情はどうであれ史実は……」は有効でも、「史実はどうであれ……」といった記述が受け入れられる論壇は、内外問わず限られるでしょう) 無宗教(多宗教)の慰霊施設に賛同しようが――たとえ根菜で死刑に処された兵はおらずとも、「戦後不当に辱められた日本軍兵士」という絵はいくらも描けるのだから


http://www.path.ne.jp/inukawa/hedgehog/info/%5B09%5D_01.html#TOP
「ジャパニーズ・サルシファイ」の一言で解決する摩擦と軽く考えていたが、牛蒡(burdock)は雑草!とされる文化圏であるならば、名店の御品書の提示ぐらいは必要なのかしらん

*1:通り一遍の感動に収まらず、より深く分け入るほどであれば、人は実に至る 囚人の陰謀が発覚したのも、より大きく共振した――踊った善男善女の「尽力」が仇だった