THE RAPE OF LUCRECE

d-ff2008-02-22



 目当ての絵画(獣が城壁を突き破る場面)は探し出せなかった 冊子と”二番目に上等なベッド”からベーコンまで繋げる好事家のシェイク‐スピア研究本の挿画で、自分が鑑賞したのは、政治的にも正しく貞淑であった(と演出された)ルークリースが見入ったとするトロイ陥落を描いたタペストリーだったのかもしれない


 好意であるということ
 我々が冤罪かどうかを詮索するのであれば、参照すべきは――公平で権威とされている文献は、夜討ち朝駆けの記者情報ではなく裁判記録だろう 双方の主張を聞き、審議を経て「事実」が明らかにされる場所が法廷 そして起訴までの捜査活動、被疑者の取調べという裁きの根幹が義務でも権利でもなく、好意に基づくものであることがまず問われている それは態度保留以前の政治的問題に他ならない ハインラインの『宇宙の戦士』は兵役経験がなければ公民権参政権等)が制限される社会を描いた一種のディストピア小説(少なくともポール・バーホーベンはそう受け取ったと考える 矢野徹についてはわからない) 訓練生(士官候補生)によるキャンプ近郊での少女への暴行事件が発覚した際、宇宙海兵隊は当局への身柄引渡を拒絶する 仲間がしでかした不始末は我々が処理するのが当然という伝統、様式美 軍法の方が素早く判決も重いというエクスキューズも用意されており、「罪人」は即時に絞首される

 日本の刑事手続がXXXXXと呼ばれる状況にあること
 例えば、大麻所持、買春を犯せば極刑となる国、ろくな通訳も確保してくれない法廷で裁かれる事態が予想される地に自衛隊員が恒常的に駐留する場合、政府も国民も弱国との二国間協定を結ぶ事に専心するのではないだろうか NATOの例を持ち出すまでもなく、攻守の橋頭堡とはおくびにも出さず、他国民の為に血を流す覚悟はあっても、前近代的な法廷で裁かれる為に送り出したのではないとかなんとか


 軽口を叩く時、自身がどういう状態にあるのかはよくわかっている つまりは「びびって」いるのですね ビアスの小説に脅威を感じると腕組みする中尉が登場しますが、自分の場合は口元がゆるみ、益無い周辺をつつくのです
 犯罪と尾ひれの悪意に自分はおののきました 例の論説委員も、匿名の誰かも怖い 「ちょっとアレな人」という感じで連中をいなせる人たち、真っすぐに怒りを向けられる人たちを羨ましむ思いすらありました 侵入者に荒らされた生物小屋の前で犯行時の心象風景を思い描き、心底脅えた小学生が再び出現するわけです(小屋のそこ‐ここに悪意がへばりついているのを実感した) 暗い場所でもう私は殺されちゃうのかなと痛感する、社会にこのメッセージ(過失に釘を打つ)を広めることが国益、ひいては個人益に適うのだと(政治)判断する、それらの風景を思い描く(投入する)のは自分にはひどく怖気立つ作業です
 誰に向けて語っているのかを問う記事もありました そこに生身の人間が接触していようが、現実と隔絶した電脳空間であり、ウェブログなど所詮は発話前の快楽原則に支配されたイド、大きな前庭に過ぎぬと考えるならば、なるほど読み手の事情、心境を考慮する必要はなくなります(匿名者のポジショントークに関しては情報エリート宣言と同様、こまめに糾す気にはなれない) そして自分はといえば、被害者にも容疑者にも――死者にすら掛ける言葉を持たず、記号のあなたにも語れていないわけです

 連続児童殺傷事件を伝える一連の新聞記事で、学校に案内しようとして被害にあった少女の母親の、親切で優しかったあの子らしいと娘を偲ぶ談話を読みました(記事が語られた言葉、或いは心中の思いの全てが要約されたものであると決め付けられないのは無論です) 切り取られた言詞は心根の優しいわが子の成育を悔やむものではありませんでした 残された人たちの心の奥底を審議するすべなど持たないけど、「見知らぬ他人から(たとえ相手が子どもでも)声をかけられたらすぐに逃げ出しなさいとなぜ教えなかったのか」と自責の有無をさいなむ人中は歪です――避けられぬ変容でも、「荒廃」でもなく、まさしく恐怖そのものではないですか