説明することではなく、見渡しのない私のゲーム


 判決についてここで何事かを述べるつもりはなかった そのためにデンゼル・ワシントンサミュエル・L・ジャクソン、シェーカル・カプール監督を取り上げたエントリを用意していたぐらいだ けれど二、三の関連記事にコメントをつけた だから補う意味でざっと書く ただし私見は上っ面の、言葉遊びになる 理由は半年前のエントリで述べた通り

取調べでの「生きて償って」がすべて 検察が放った(とされる)指南が、すべてを摘み取っていったのではないかと

 誠実であろうとした弁護人も真実に迫ろうとした者も、すべてからめとられたいう事で
 判決は「なぜ供述を翻したのか?」に終始する 弁護側の医学的所見は先の事実認定を覆すほど決定的でなく、致死主張の骨子となる被告の新たな供述も今更で信用できない また弁護側は被告の未熟な精神性を提示したが、虚偽の弁明をもって抗う無反省な挙措が情状を覆い尽くす
 このループを外すべく、検察の誘導に乗る事で死刑回避の公算が強まると判断しあえて口をつぐんでいたと前任の弁護人が廃業覚悟で証言したらどうだったろう?(もちろん、弁護方針に関してかような事実はない) 弁護士は懲戒され、決定権を持つ被告に対する心証は――法廷を侮辱、弄する態度は司法への挑戦である――最悪になったと思われる
 刑を逃れるため虚偽の供述をする者がいることは推量できるし、また、人を殺めた恐慌から妄想にすがりつく未成熟な者の存在も理解できるということ 「死刑に反対する人間がいるのが信じられない、なぜそんな風に考えられるのかまったく理解できない」という話をラジオで以前聞いたが、彼の不可解は反対論者の筋道にあり、論者の存在そのものに疑念を持っているわけではなかろう

ならば、「ネタだ、釣りよなんて抜け口は封じ、そろそろ匿名掲示板のログを発信者の真情(残忍性、尋常ならざる性嗜好、絶望的な可塑性)、証左として当局は照会する頃合いだと思うのさ」

「当局」は検察やら放送局を指す 「勾留中の被告の私信と一般人(予定犯罪者)の放言を同一に扱うな」という意見には、「なるほど ただし該当ログが証拠に値するかは裁判官と視聴者の皆様が判断すること」と返すのみ 言含めた誰かを被告と同房させ、検察側に有利な言質を取る手法があるらしいが、通信業者と管理人にデータの保全を徹底させる方が遥かにスマートじゃないかとね 
 例の手紙をテレビ報道で知った際は、「陪審員は先ほどの検察官(弁護人)発言を無視するように」という法廷物で馴染みのセリフ(説示)がとっさに浮かんだ 犯罪を構成する記録でもなく、「ミランダ警告」のない自供、伝聞など暗渠にリークする他に使い道があるのかと思う

処理場を要用と考える住民も隣接は嫌だろうが、耐えられぬなら語らず自らが退場(転地)するだけでは 禁忌とする罪は人それぞれで、出所後の居所情報を公表する社会ではなく、不安も覚悟もなく「共生」している

 経済犯、詐欺師の位置情報を周知してくれなければ恐ろしくて商売はできないと言う人は市場から撤退してもらう 犯科を問わず忌避が嵩じれば、山奥に引きこもるか、フリーメイソン並みの入居資格を必要とするマンション、ディズニー・タウン(セレブレーション)に越すこととなる 「浮世離れ」は自嘲の文句にもなりますが、金が唸る後者の場合、やはり自慢げに語る人もいますね


 最後に陰口 士業の尊厳と相克を身をすり減らし体現する弁護士への陰口 むなしいものです
 事件に手弁当で弁護するのにどれだけの勇気(と正義)を振り絞らなきゃならなかったかを理解しない、しようとしない人々に、届く言葉を模索するのは果たして「勇気」だろうか?
 という疑問はおいて、
 怖いもの見たさで番組視聴 以下の感想を抱いた視聴者はどれほどいたのかな? というのが感想です

  • 死刑存置派の弁護士が不可解な理由で弁護団から追い出されたわけか
  • 床に落としながら殺意を否定する、弁護士も返答に詰まるほど(編集は想定外うんぬんは無しでね)愚昧な主張だったようだ
  • 大切な命を奪われる辛さを想像できない人々であったからこそ、彼らは凶悪犯の弁護が出来たらしい だから「負け」たのも当然なのだと
  • 安田弁護士はマスコミになにやら私怨があるようだ
  • BPOと四人の弁護士(後に立ち戻った一人が抜ける)は、声を上げられないマジョリティとその代弁者である番組にひどいことをしたみたいだね
  • 「命を奪った者はただ命をもって償う」という不磨の大法を確認、また相容れない誰かの悲痛は朝日新聞に包んで笑い飛ばすのが大人のマナー

 過ぎ去りし物語には「人間の手が触れてはいけない」という凡庸なる戒めがあるが――みなきゃよかった

(追記) 今し方、4月29日以降の記事を拝見したが、置き文を披見しているような、どうにもいたたまれない気持ちになった 刑事弁護とは環境から区分された、個人の献身を強く求める――特殊な立法能力とすり潰すほどの帰責能力に負う痛ましい制度なのだろうか