婉曲なトラックバック その六


「殺人学」のシニシズム
 ファンジン(ブログ)出身のSF作家、ジョン・スコルジー(とウェブ仲間たち)の『老人と宇宙』はハインラインの『宇宙の戦士』をオマージュした作品だそうですが(ちなみに続編の下敷きはビジョルドの某作かと思った)、ハインラインの小説が訓練や効率等の「技術的」問題に止まらず、その上位の社会のあり方までを熱狂的に首肯するのに対し、スコルジーの志願兵らには異星の技術を基に作られた軍、統治機構に対する懐疑と葛藤が包蔵されています しかし「主張を通したいなら偉くなりなさい、務めを果たし周囲の信頼を勝ち取りなさい」と諭され、やがて「この戦争は誤りかもしれない――本部は無能、上官も最低――だが俺はコロニー防衛軍への奉仕、息の詰まる現今のシステム保全の為に戦っているのではない。戦場で地球に残した家族の生末が心をよぎる筈もない。ただ、隣に立つ友の命を救う為に戦っているのだ」と自らを納得させます 兵士らは(心理的抵抗を軽減するべく編みだされた)射撃の的を人型にした細工、部隊を密に出身地で構成する近代軍制の妙計にぴたりと乗っかるわけです 社会がよほど「民主的」な軍組織をデザインしない限り、組み込まれてしまえば他に選択肢はないのかもしれませんし、その条件付けも日々典雅に改良されていると想像しますが、少なくともスコルジーの小説が描いた未来に於いては、ベトナム以前の教訓がまだまだ機能するようです 「上官の命令は国の命令であり、国家は無謬である。諸君らは胸を張り任務にあたれ」なんて訓示で死地に向かう兵士など、さすがに現代でも希少とは思うけれど

付記 「」内はセリフの引用ではなく、勝手な要約
 ブライアン・デ・パルマの『カジュアリティーズでも、戦場には慣れたが無能な上役には耐えられないと悲憤する兵士が印象に残った(テントの指揮官は南北戦争コレクターなのか、日がな一日ミリタリー・ジオラマを作り、斥候が命と引き換えに得た情報を情景模型の修正のみに費やす 視察に来た将官?がその出来栄えに感嘆し、彼を賞賛するというおまけもつく)
 マイクル・スワンウィック『ウォールデン・スリー』は、賞賛とユーモアを強化子に住民を統制する宇宙コロニー(その名称はソローの告発を皮肉っているのかも)が舞台 設定は面白かったのに、語り手が面倒くさいやつで嫌だった
 
「レクリエーション」って意味分かってんのかな?
 労働者とレクリエーションとなると、つい体育スポーツ局、第三帝国を自分は思い浮かべてしまうのですね(ケストナーの日誌を除けば、ほぼフィクション経由の情けない知識ゆえです) グラスの作品には東西統一後も党主催のピクニック、体育祭を郷愁する老婦人が登場します(主人公である息子は「68年世代」を隔てたノンポリ、孫はネオナチ) もし政務官が自民の諸先輩に倣いナチへ付会していたら、ブクマがさぞ賑やかに、スター使いが活躍したことでしょう
 小泉竹中時代には「お金を払っても職をという人に斡旋したい」などとハロワの有料化、民営化が大真面目に議論されていたのですが、支持者らがどのように振り返っているのかも気になるところです ただ竹中は昨年のNHKの税金に関する討論番組でも「公平とはサービスを受ける人々が公平に負担する……」云々と熱弁してましたから、ハロワ移譲を実現させた後は、皆保険の見直しまで睨んでいたのかもしれませんね