門がまえに月


 今回はだらだとうなされるように書く 読者二名(ゼロもかなり可能性のある数字だがそれは考えない)には申し訳ない

 漱石の『夢十夜』は個人的に掌小説の記念碑的作品 物語といえば「奇妙な味」一辺倒だった自分に、愉しみの術を拡げてくれた まあ、バタくさいのだけどね ワシントン・アーヴィングの幻想短編を彷彿……つか、『Lukundo』なる米国の怪奇短編があるけどこちらの方が趣向は近い
夢十夜』の地獄編とも称すべき内田百ケンの短編群 でっぷりした嶋田久作が暗躍する『遊就館』、『支那人』は『ベニスの商人』に類した読み直しも面白いと思う ただし有名な『山高帽子』、松本清張の昭和史発掘『芥川龍之介の死』と並び、(知己とはいえ)龍之介ファンにはちと腹立たしくもある一篇ではないかしらん
「不機嫌、不快だが悩まないので近代小説足りえず」という批評はけだし名言だと思う(要出典) 内田の作品に苦悩はないが、生臭さは半端でない(作品は私小説の形態をとる) 好みの分かれる(よく言えば)渋味だが、自分は合わなかった 「氏の詩的天才」ぶりは感じられなかったという事 んでこれきり、阿房列車まで進まず アーサー・マッケンみたいな朧な怪奇小説はもともと好きなんだけどな
 百鬼園の風貌はなぜか白い背広を着込んだ今東光とイメージされている(作家の写真は未だに見ていない) 『まあだだよ』のまめやかに枯れた松村達雄なんてとんでもない(メイキングで黒澤から嘲笑まじりのダメ出しを受け、ゆっくりと面を伏せる松村の座姿だけが心に響いた映画) 短編を通して、憎々しい悪人像が定着してしまっている

 元気な時は劇的な夢を見る 悪夢でもまっとうな悲劇を見る たとえ内容が怪奇であっても漱石風のを ダメな時はずるずると「百鬼園Ver.」 この何年かはずっとこれ 三月分から二つほど



「はるかなるみちーはるかなるみちー」と車内アナウンスだか己のつぶやきだか判別しない声を聞いている。黒田と身元不詳のうさんくさい小男と三人で電車に乗っている。地下を渉っていると思ったら川を越え、鉄橋を走っている。間が持てずに自分は二人に作り話を聞かせる。「いつか見た」車両内の光景をでっち上げる。座席の老女が持ちこんだラジカセを流し、新喜劇やニュースにいちいち悪態をついていたという話。「どこで?」と訊かれたので適当に答える。答えた後、それは若い小男の出身大学(市大)の沿線であったことに気づく。駅に着く。改札から続くコンクリートの短い地下通路を抜ける。大学に着く。東京大学だった。体育館横に青葉が茂る小道がある(つまり自分は懐かしき高校の風景を眺めている)。一際背の高い男がいるなと思ったら、プロ野球投手の金田だった。ああ、金田も東大OBだったなあと独りごちる。少年――書生(白いシャツだ)がプレートを配り歩いている。連れの二人も列に加わる。ポリオ接種らしい。二人共に東大生なのである(市大の小男もそうなる)。無関係な自分はもちろん礼儀正しく沈黙を守る。が、結局帰るしかなくなる。一人帰る。門から暗渠に入る。道の折れ先がすぼまり、どこに通じているのかわからなくなる。壷の形象がぱらぱら捲れ散乱。手に余り、なんだろうなあと思案していたら目が覚めた。黒田は誰だったのだろう。



 テレビでタレントが怪談話をしている。彼に知り合いの若手芸人から写メールが送られてきたらしい。写真が舞台に設けられたスクリーンに映る。顔を赤く塗り、その上に濡れたデイッシュを何枚か貼り付けている。薄紙越しに、前衛パフォーマーみたく口を大きく開いているのがわかる。要はムルルンマンの顔マネなのである(ムルルンマンなるヒーローについては夢なので自分も承知している)。怪談タレントが話す 「それからしばらくしてテレビで食堂の火事のニュースが流れたんです……ええ、犠牲者は彼だったんです」そう言って口をつぐむ。そこで「あー自分は今、芸人の今際の際、焼け跡の死に顔を見ているのだな」と思い至る。目が覚める。


追記 これだけでは余りにも余りになので、最近印象に残った一文を

「我が国の人々は、整理とか緊縮とか云ふ言葉を、まるで偶像を崇拝する如く有り難がる」『金解禁の影響と対策』

 金本位制なるグローバル・スタンダード――列国と対等にあることが日本(人)の威信、「悲願」であった時代、国際競争力、「不況克服の切り札」とされた円高の旧平価による解禁のため、緊縮財政、(経)財界のリストラは不可欠 「大手術であるから手術後一時は多少の発熱位は免れない……それとて余り心配する程の事もあるまい」(1929年11月16日東京朝日)と、改革派の講演会は「満場酔ったよう」 「構造改革なくして景気回復なし」の新聞、金融市場、国民(財相におさい銭)こぞっての世情に「左様なバクチは苟も国家としては打つべきでない」と異を唱え、平価切下げを主張した東洋経済新報主幹石橋湛山の言
 以上、2009年4月15日朝日新聞夕刊連載「検証 昭和報道(恐慌4)」から気儘につまんだ


 前半、朧でぐずぐず崩れてしまい、最後に王道のベタを狙ってみたものの、件の学識がなく「風刺」どころか薄い切り貼りに已む