今年の五さつ

 だが今年は片目に怪我を負い読書量が更に減 このままでは読書日記の体裁が繕えぬ(岩波の少年文庫を抱え、うつらうつらと余生を送るのも悪くなかったが)
 レムの創作したピルクス飛行士は、適当に開いたページから小説を読み始めるのが習いである 『市民ヴィンス』の遁世者は自分なりの結末を文中に探し当て、決まって読み終えることなく本を置く こちらは何事か、何者かを見届ける中途で投げ出してしまったもの、この一年積んでしまったうちの五冊を

アントニア・アルスラン『ひばり館』

 トルコによるアルメニア人虐殺、女性と子どもたちに課せられた「死の行進」を描いた小説 本題(回想)に入る前、導入部の少女のあれやこれやで困憊し終了してしまった ピルクス式読書法でやり過ごせばよかったのかも(ジョージーナ・ハーディングの『極北で』は冒頭を最後に回して乗り切った) 本書を再び手にする――再帰する、読了する確率は小

トニ・モリスン『パラダイス』

『スーラ』の次に本書を選んだのは、キング『骨の袋』終盤に通じるホラー、疾走を期待したというまがまがしい理由 ストップした理由は、一章を読み終え、ふわふわしたもので胃が膨満するような――こんな奇矯なエピソードを後何人分読まなきゃいけないのかと憂鬱になったから 読了する確率は大

コーマック・マッカーシーザ・ロード

 のっけから文体に慄き、霜柱がびっしり茂ってしまった 道具立の似た『セル』の影響もあったかもしれない 縁に佇む幼子の登場の後、すっかり悴んだ掌で書を閉じた 『ノー・カントリー』も映画で済ませたし、評判も悪くなさそうなので続きはそちらで 再帰云々は言わずもがな

ダシール・ハメット『ガラスの鍵』

 ハメットの長編を読んだ事がない 『マルタの鷹』はお昼のテレビ映画劇場で、『血の収穫』は愚かしいミステリー案内書のおかげで伏線から結末まで頭に入ってしまっていた(醜悪なイラスト付き) 解説にハメットの最高傑作とある(ジュリアン・シモンズ) 中高時代に入手できていたら、残りページを惜しみつつ読み進んだと思う 最初の(?)死体が登場した場面で置く 読了する確率は五分五分

トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』

 ざんない言い様で申し訳ないが、「肉体が欲する書物」なるもの その年齢、その状況でしか堪能できない読書体験というものがある ひと夏を、冬の喧騒をやり過ごし本書の世界に耽りたかった 現実は小説を手に取るどころか書架に半メートルも近づけずに終わる 十年前なら泣いていたろう 幸福な読者にはなれなかった、遮断されたということ


 足しての一冊は『ヴァージニア・ウルフ著作集』 評論か日記の一節を立ち読み 「キュー植物園」を読んで以来、なぜかウルフの長編は生涯に一冊と決めていて未だに選べない


 自分の日本語は夏目漱石浅倉久志でできている(勿論、使い慣れない言い回しを多用し、都合よく繊細と磊落を抜け口にしているだけ) 浅倉がものにした放胆なほら吹き話、繊細で洒脱なスケッチ――今春の翻訳家の訃報は、自分はとうに折り返し点を過ぎていたのだなとひやりと胸に迫る一報でもあった この国に生まれた喜びを漱石を原語で読める事と説いた松岡譲が、師の急逝に応えたであろう寂寞、喪失感に劣らぬ無残――以後、読書は昔時のよすがとなる 得るものはなく、私の言葉はすべて繰り言である