冬の蝶、赤い卵

 予定していた「麗しのクレア」はまたいつか

 これはむかしむかしの話 公共事業の抑制を口にすれば「日本をスラムにするつもりか」と一蹴された時よりずっと前、吉井議員が番組で哄笑される以前、中学生が「規制緩和」という言葉を覚える以前の話 原子力問題――その仕組み、政策を朧気に知り始めた頃の話 何人も責任を負えない無茶はするなと、「ほらみたことかと」と言い放ってやると心に決めた日の話 ネット上でぶちまけるとは想像できなかったし、中身もぶっつけだ(見聞した有名、無名の発言リスト作成は半年ほどで頓挫した) ただし「タイトル」だけはぼんやり定まっていた*1
 NHKのストリーム放送に「マスゴミミンス」の連呼で心の平穏を図ろうと奮闘する者らが群がっていた(記者の名を教えろ! 東電も被害者だ!) 現場の「聖戦」を恭しく掲げる彼らには(非アメリカ市民の志願兵のごとき)従事者の氏名は、いかに言い繕うとも贖罪のイコンの明瞭な刻みに、最終の一刷毛となったであろうに――ざまあみろ 手渡した原発に関する告発書を破り捨てこちらを挑戦的に見返してきた男、自称保守のプロトタイプは「黒歴史」タグを駆使し、当時を苦笑で振り返っているのだろうか? いやまったく、日本のインターネットは残念――な者たちにはうまくできている*2 
 あの頃、原子炉の重篤な事態に言及する業界人の口吻は、まるで飛来した隕石が頭にぶつかる出来事を語るそれだった ヒューマンエラーをも幾重に織り込まれた設計、安全委員会が推進派のみで占められているのは、決してイデオロギーによる分別ではなく、専門知識、科学者としての能力を篩い分けた結果だと言いのけられた 周辺住民の避難訓練すら一利もないと退けられた時代*3、圧力弁は核アレルギー罹患者に向けた配慮であり、鬼子扱いされた時代があった 実際は震度5〜6、7メートルの波が出来すれば*4失われた半世紀が、冬の時代の到来が間近に迫るものの、電力消費の2割(?)削減を請われるぐらいならば――政治家として、学者として、一人の市民として――賭けるに値するというギャンブラーの決意表明に過ぎなかったわけだ 
 自分も四半世紀分年を取った 警告をあざ笑い、重大な過誤をやらかした者を指弾してもせんのないこと 取り返しのつかない現実をたとえ相手に突きつけても、謝罪も弁明もなく、異星人を眺める目つきをされるだけ――個人的にもとうに経験済みだし、今回の事故で飛散した貧困、爪の先から身体をちろちろ焦がし、遂には死に至らしめる恐怖は切実、過酷で、被曝と比しても快適な未来じゃないのは了解している


 読者二名、ものぐさな過去に、みっともない私怨につき合わせた だから最後はジェイルバード、最初に買ったヴォネガットを 

この自伝を書いていていちばん恥ずかしいのは、わたしが一度も真剣に人生を生きたことがないという証拠の数かずが、切れ目なくつながっていることである。長年のあいだにわたしはいろいろな辛酸をなめたが、それらはすべて偶発的なものだった。わたしが人類への奉仕(とまで言わなくても、身近な人への奉仕)のために、自分の生命を賭けたことは、いや、自分の安楽を犠牲にしたことさえ、一度もなかった。みっともない。

*1:『冬の蝶』は核の冬を彷彿させる枯渇する世界を描いた星新一ショートショート。『赤い卵』はスペインのホセ・マリア・ヒロネーリャ作。毒々しい色の卵は腫瘍の暗喩。

*2:別の場所では「サヨク大勝利」なる書き込みを見た。左翼は勝利してはいない。熱い炉の代わりに放水車の前に立つ機会を失してしまったのだからね。あえて勝ち負けを語れば、敗北を喫したのは投稿者。悔しいのか心苦しいのか、手当たり次第にわしづかみ、引き摺り下ろしているお前が負けただけ。

*3:かつてテレビで発電所地域の住民参加の避難訓練の模様(海外の番組)が紹介された際、「我が国では実施されていない」と、当時としては踏み込んだナレーションが流れた。情けないことに心臓が早鐘を打つほどであったが、スタジオ司会者の「(訓練不要なほど)安全だから(原発事業を)やっているんでしょ」というお気楽な一言であっけなく終演。

*4:襲来したのは「千年に一度の地震(連動)」とも記される。その後には千年に一度の強風、千年に一度の雷雨、千年に一度のうっかり、千年に一度の犯罪者、千年に一度の(生産され流通する)パイプ、ポンプ、ナット、導線、灯、メーター……と、長大な免責目録が並んでいる。転がり落ちたあの「赤」は、連続100回目の赤と考えても、黒が99回連続した挙句の赤と思い描いても構わない。しくじったら緑のダブル・ゼロを主張し痛み分けに持ち込む。エド・ソープを超越する必勝理論。