すっかり忘れてしまっていること#2日本の夜更け


1999年、神奈川県にていたましい水難事故が起きた 河床を遊歩するのがいかに危険で注意を要する行いであるのかは、パッカーでなくとも多くの人が承知しているところだと思う 先日終了した日テレ「ザ・ワイド」は連日、中洲に取り残されたグループの姿――命の危機にさらされ、恐怖からたかぶりと弛緩状態を行き戻りする人々、濁流に立つ幼い子どもの脚――陣形が崩れすべてが放流にのみ込まれるまでの映像をくりかえし流した 豪雨の中、レスキューに向けられた「ヘリを呼べ」というくぐもった叫びが、阪神淡路震災でのカメラに映し出された被災者の怒声(ヘリを出せ)と重ね合わさった 放送人としての見識を疑う(人権侵害)映像だが、さらに震撼させられたのはスタジオの地獄絵図だった 警官らの退避勧告は適切なものであったのか、救助体制は? 装備は? これらの事柄をきちんと検証することなく(経過報告の途中、決して救助に当たられた皆さんを非難する意味はないと、草野が特に断りを入れたほど)、居並ぶ出演者は自業自得(自己責任)のラッシュ、罪と罰の文脈で始終この事故が語られ、紹介される「視聴者からの声」は、コールアップに備えて休日も心が休まらないという救助隊員の妻からの叱責を始め、無責任、身勝手の一様、遭難者らの所行は死をもってすら償いきれぬ罪業であったというわけだ
 後日、佐々淳行が別番組(日本のよふけ)でこの事故を振り返る 佐々のテレビ露出が増えたのはこの頃だったと思う 局には一千を越す反響が寄せられたが、犠牲者の非を問うた(叩きをした)彼を責めるものは一通もなかったという 日本の国民、視聴者もここまで「成熟」した、そう佐々は感慨深げに言い放った 三島事件のエピソードを聞いた際には神妙な、こわばった表情を崩さず空気と化していた(おそらくは憂国の士、三島の遺体状況を、佐々が面白おかしく語ったせいであろう)司会者が、我が意を得たりと首肯していたのが印象的だった   
 印象に残った場面はもう一つある 急逝した部下の不祥事を詫び、頭を下げる会社関係者の会見の模様だ 死んだ後も瓦礫を埋められるような咎を負うてはならない――迷惑を掛けるな、現世の命も死後の名誉も庇いたくば最後の最後まで言動は慎め この戒め、教示こそ、当時放送に係わった人々が視聴者に伝えたかった大事なのであろう イラク人質事件の五年前、すでに我々はたっぷりと涵養されていたという次第 「棺には菊抛げ入れよ有らん程」