すっかり忘れてしまっていること #3 小さき勇者たち、若しくは恐るべき園児たち


 読ませてもらい(悪 平等競走社会、ニッポン - 女教師ブログ)記憶をたらたらと
「お手てつないで」は自分が聞いた限りでも田原が枕に三度は使っている話 教育論を語るには充分事足る蘊蓄と考えているのか、政局以外は興味ないのかはわからないけど
 昔々(放送開始が1982年だと)、「TVスクランブル」で園児の徒競走の様子が放映された かけっこ――競争がわからず、「よーい、どん」の合図にもきょとんとしていた園児らが、保母さんたちにせかされ笑いながらようやく動き出す 沿路に愛敬振りまき、途中で立ち止まる子も半数 番組(久米)のスタンスはこの年代の子どもらに順位をつける是非を問うもの、まあ異議を唱えていたように思う そこで横山が「親が悪い」と言い出した すべて勝負事、勝ち負けをしっかり教え込めというわけですな 
 さらに古い記憶を引っ張り出す
 五歳の時、園で相撲大会が催された 自分は早生まれで身体もクラスで一番小さかったのだけど、相撲は好きで、近所の小学生相手によく遊んでいたから楽勝であった 戦意も知識もない子らが大方なので、それこそ横綱と赤ん坊の取組となる 引っかけも押し出すのも自由自在 ふつふつと征服感 ところが決勝戦の相手がツワモノだった ガタイもいいし、なにより相撲を知っていた しっかり組めたと思ったら、膝から崩れ落ちていた 「鯖折」という手を知ったのはこの試合が最初 がくんと脱力させられ、魔法を掛けられた気分だった 合点がいかず、「ナニコレ? 卑怯っ」とも考えたようだ まるで『隠し剣 鬼の爪』の弥市郎(小澤征悦)みたいな最期ですな その日のうちに対策を練ったが、二度と相撲大会は開かれなかった 思い出すと未だに口惜しいし、挫折というか、ずっと引きずっていくものなのかもしれん 要は自分は「良き敗者」、そして「良き勝者」ですらなかったということ 未分化の競争心――こんな怪しげな術語はないだろうが――は、取り扱い注意のシロモノなのでしょかね