婉曲なトラックバック その四


 そもそもの争点とは外れた雑感なのですが
 まさか反・自民政権を「ケンニチ」とは定義していないだろうし、歴史学の成果に関したものでもないように思われる 態度とか日常の立脚点みたいなほんわかしたものなのかな? 自分は幼少から、贔屓のチームに限らずNPBの外国人選手が大好きで、ボクシングでは大抵相手選手を応援してきて、シューギョーラン(周暁蘭)に憧れ、ゲーム脳でW杯本戦初出場のフランス大会ではイングランドを、次大会ではアイルランドを応援(ロシアサポーターの狼藉には少々驚く)等々の経緯があるので、ケンニチ認定されてしまうのやもしれん(変わり者という自覚すらないのに) また、祖国に拳を振り上げる作家たちや、苦悩し、郷愁する作家(ロレンス)に共感を抱いたからには、根無し草、まったき地球市民と為るのであろうか 内(パレスチナ)に於いても非寛容を強く嗜めていたというサイードの生涯を大上段に掲げずとも、自国が下した判決に異議を唱え収監されたドロシー・パーカー(いくつか読んだ短編はもう二つぐらいだったけどw)とか、州軍パイロットが犠牲になったにもかかわらず、ピッグス湾の出来事は史上稀に見る汚い戦争であると自国の外交政策を貶した人々(メイラーら)こそ追1)、黒い羊そのものなんだということかしらん


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071026/p1
 うぬ 狭い(故に深い?)学究なので、論をひろげて非難され唖然というとこなのでしょかね 批判にも寛容なお立場のようですし、ならば読み手としては表層的でも「すこぶる同意」なり、笑覧なり、生温く勝手にしていればいいのかなあと ミンボーのオンナレベルにも達していない自分は、[たまたま子供好きで善良な地上げ屋の人権はどうしてくれる]という部分が面白かった そりゃ「殺してやるっ」と面罵しても捕まらないケースもあるし、「殺して埋めろ、とは言ってない、山に連れていけと言っただけ」なんて、裁判官、弁護人すら耳をかさない抗弁もあるよなあとか、(リーガルマインドとかいうんですか?)振り切ったこと言う人なんだなと無為な感想を持ちました あと、2ちゃん用語を文のアクセントに使うある年代の人々(小田嶋隆とか)を観覧した際は、「取捨選択」以上にしっくりしない、どうにも痛々しく気になってしまうわ、と余白



追記1(11月12日)
「米作家ノーマン・メイラー氏、十日に死去」のニュースは月曜日に知った 今年はヴォネガットも死んじゃった 2004年に相次いだサガン森村桂の訃報を聞いた時もそうだったけど、漆喰やタイルがパラパラ剥がれ落ちるような憐憫が、いじましい感傷が生じますですね
 メイラーは『裸者と死者』をヘミングウェイに贈呈したのだが、包みは解かれず、せっかくの献本も打っちゃられたというエピソードを読んだ記憶がある 真偽はわからぬがヘミングウェイなら「さもありなん」とうなずけた 「個人の悲哀は詩の主題にあらず」と無名戦士の唄(主題は悲しみ、戦争の悲しみの中に僕の詩が在る)の掲載を拒んだイェイツの故事(passive suffering is not a theme for poetry)も連想する けれど日本の大岡昇平はメイラーの作品に衝撃を受け(愧じたとは言わない)、哀れな戦友たちの鎮魂に収めず、敵兵やフィリピンの民衆らの思いを著し補強した ところが以前テレビで、「まずは自国、だから大岡も他国民の事情は後ろに配した」と某が一席ぶっていて驚いた 発言したのは「自虐」や「どこの国の国民か」が口癖の煽り屋でもあった
 この項、長椅子に身を横たえた受難者よろしく覚えだけで、あやふやというかとんでもない間違いを記している予感がする おぞましや 『俘虜記』と『野火』こそ読んではいるものの、そもそも『レイテ戦記』未読の自分がふれるのが無茶なのですが、(Fランクとはいえ)まあ勢いだったわね 見逃してやってください