修正 ゴットリーブ・フィッシャー

 SFファンであれば「歴史修正」と聞いて、真っ先にこの名を思い浮かべる人もいるかも PKディック作『最後から二番目の真実』の登場人物 自分は二十歳過ぎて読んだもので当てはまりませんけど

半端なネタバレあります 注意!

 50年代に発表したいくつかの短編を組み合わせた1964年度の長編作 ことに好短編『ヤンシーにならえ』を核にしている 『ヤンシー〜』では声明シミュラクラ、ビッグブラザー・ヤンシー(モデルはアイゼンハワー)に焦点が当てられていた この長編では歴史の改ざんを任務とする管理局、ヤンシーの電子脳をプログラムする管理局補佐官らがカリスマ、お手本とあがめる歴史修正の映像作家ゴットリーブ・フィッシャーがユニークだ
 フィッシャーはレニ・リーフェンシュタールと同時期、国策映画トラスト・UFA(ウーファ)の流れを汲む経歴を持つ男である リーフェンシュタールは戦後、後ろ盾も大口スポンサーもなくし失意と孤独を味わったが、彼には第三帝国や一銀行家を遥かに凌駕するバックアップがつく 東西両陣営が揃ってこの才気溢れる――「感情に訴える手法よりは、大きな衝動と驚愕によって映画を躍動させることを好んだ」――映画人を援助し、雇い入れたのだ フィッシャーは軍に保管された記録映像を巧みに切り貼りして第二次大戦の改変を行う 1982年、彼は西側の民衆たちに向け「真実の史実」を啓蒙するべく全二十五話の作品を送り出す
 映像はヒトラーは天才特有の神経質な人物であって(激情家でひどい気分屋、敗戦後の長期に亘るストレスにもさらされていた)、彼を狂気にまで追い詰めたのは近視眼的で愚かな英国であり、我らの真の敵がソ連であることを覆い隠してしまったというストーリー 落ち着かない総統の弁舌、英軍による海上封鎖、ワイマール大恐慌時代の民衆の群像と強制収容所の空ろな表情をしたユダヤ人の肖像をオーバーラップ(直結)させる離れ業をやってのける 編集とナレーションは1944年にベルリン市民が郊外の森で雑草を採る映像を用い、その責は第三帝国にはなく、英国が人々を餓えに追い込んだ証左の一つだと視聴者を促す 我々はソ連ではなく、独逸こそ同盟国にすべきであったというメッセージだ 実録フィルムを使った下地作りが済むと、ようやく短い創作、偽物が挿入される(二十五時間の映画の中の僅か数分だ) ヤルタ会談で三国首脳が座して歓談する有名なシーンの後、ボタンに擬した隠しカメラとマイクによって忠実な一人の合衆国警護員が記録した映像であると説明が入る(果たして1944年にそんなスパイ道具が開発されていたのかといった疑念をもたれる危険はあったが、フィッシャーは賭けに勝つ) フィルムにはルーズベルトスターリンに合衆国を売り飛ばす密約がバッチリ収められている 大統領はソ連のスパイだったのだ!(米国でルーズベルト夫妻を悪しき国連主義者、共産主義者と揶揄する声は現実にある) 「きみが従えている連合国軍は西側陣営内において前線からしりぞき、よってわがソヴィエト赤軍中央ヨーロッパの深みにまで侵攻できるようになった」というベルリンを希求するスターリンのねぎらいの言葉(なんと英語だ!)で俳優らによる寸劇は終わる ヤルタ協定とはソ連に西側を売る密約であり、総統――上陸作戦を成功に導くためあえて陸軍機甲師団二隊を進軍させなかった――は、「民主主義陣営を共産主義の侵犯から守ろうとするあまり誤解されたにすぎなかった」という正史である

 東側諸国用に制作された版では第三帝国はれっきとした悪役だ ただしルーズベルトはこちらでも裏切り者である ヒトラーの蛮行から文明を守ろうとしていたのはソ連と枢軸国である日本(あは、ディックの未来史では日本は東側に属すのすよw)、英米ナチスの同志であり、彼らは台頭しつつあった東洋日本を抑えて現状の覇権を維持するため、密かにヒトラーをけしかけて東方へ勢力を拡大させようと画策、本当に戦っていたのは内陸戦をやっていたソ連だけだったと描く 「ザ・ロンゲスト・デイ」もソ連との戦線からの敗走軍を相手にしたに過ぎないというわけだ この版の創作部分は1942年5月にヒトラーがワシントンに飛び(ボーイングジェット機!)、ルーズベルトと会談する場面 大統領は対ソ戦に傾注できるようノルマンディ上陸を一年遅らせる事、ソ連北岸を目指す連合側の移送船団の中継地点はカナリス大将に漏れなく通報する事、爆撃は夜中に行い、目標を逸らしやすくする事などを約束する

 小説の舞台は大衆が東西の指導者を焚きつけ核戦争が勃発した世界、そして「殺したと宣言してみなが満足するならば、本当に殺さずとも、ただそう宣言するだけで事態を鎮めればよい」と、両陣営のエリートたちが恒久和平のため民衆を地下に追いやり、欺き続けることを選択した世界の話 東西に設置された二体のシミュラクラ、同志ヤンシーと護民官ヤンシーはその欺瞞と統制の要なのである


 作品としては(ディックの小説評としては定番だけど)、「破綻している」という感想 主要人物のキャラ立ちはしていたように思う でも原型の各短編の方が面白かったかな ヤンシーの草稿は管理局補佐官(視点を持つ主要人物の一人)が書くのだが、半身を机にボルト留めされたロボットの演説で印象に残った逸話(なべてのものの生は転変なり)を最後に引用し、この破綻したエントリを終わります 人生を大口を開けた怪物の前の小道を通る所作に例えたフラナリー オコナーの言に比した諦念だと思ったもので(辛い生活を耐え忍ぶ、監視され、搾取される地下塔民らに発せられる声明だから当然なのだけどねw)

「大昔に古代ブリテン島のある蛮族の王がキリスト教に改宗したときのことを語った話があります。王が信仰に目覚めたのは、人の生とは暗い夜のなかで飛ぶ鳥のつかのまの旅のようなものだという悟りからのことでした。鳥は窓から城のなかにふと飛びこんできて、明かりの輝く暖かな宴の広間に入り、そこでうごめき話す人々の頭上をつかのま飛びすぎていきます。鳥はそのとき、自分たちと同じような生き物の暮らしがそこにあるのを肌身に感じ、そういう者たちが住む場所のぬくもりを感じるのです。しかし鳥はまもなく、別の窓から明るい広間を抜けだし、ふたたび城の外へと、いつ果てるとも知れない暗い夜のなかへと出ていくのです。そして以後二度とは、人々がうごめきつぶやく明るく暖かな広間を目にすることはありません」