イエスタディ、イエスタデー


 SF小説には「リアル」を醸しだすため、未来のテクノロジーをあえて説明しない仕様のものがある 更に状況(いつー、どこでー、だれがー、なにをー、どうしたいのさー)を一切叙述せず、何ページも進んだ後にようやく、これは惑星プラントの管理者募集に関する派遣業者と志願者の会話だったんだなあーと判明したりする もう面倒で引き返せない 読者に手がかりを拾い集めさせる類のミステリーも好きじゃないのです 書き出しの達者なSF作家といえばシオドア・スタージョン 彼は舞台を過不足なく照らしてくれる あまりに上手で読み終えた後、こいつは失敗作じゃないのかと考えてしまうほど 冒頭から世界に入り込ませる手腕を持つ故の悲劇ですね ホラーの分野ではジョン・ブラックバーンの『小人たちがこわいので』が卓出 プロローグだけでたっぷり楽しめる
 暗中模索の現代小説は状況や関係の提示がクライマックスともなるわけですが、『インディアナインディアナレアード・ハント――これはもうほんと、ぎりぎりまでアナウンスしない小説だった 年齢も血縁も明かさず、影の人物たちの披露する教訓、思い出語りが繋がれていく(これで引っ張る) 新しいものを読みなれていない自分には、スタイルが過ぎ、遠く離れた場所の物語となってしまいましたが
 この小説で語られたエピソードのひとつに箱舟異聞があった 慎重な神はフェイルセーフを採用し、実はノアは二人いたというお話(もちろんラーマの神なら三人のノアとなる) 第二のノアは人望がなく、家族にも見放され、動物たちは丘を越えてやってきた彼を見るなり逃走する 失意のうちにノアは一人船に乗る 四十の昼と夜、さらに日が過ぎ、老人は鳥(何処からか鴉が飛来する)が運んだオリーブという明瞭なメッセージが理解できず、孤独と飢えと混乱から捕らえた鳥をたちまち引き裂き、貪ってしまう 嘔吐に見舞われながら再び船倉へと戻り、浸水した寝床に横たわる そう遠くない沖合いで第一ノア号の甲板に沸き上がる歓声にも気づかない


 ニュースに接して最初に頭に浮かんだのがこの澹泊な寓話だった 「AKBをアキバと読むなかれ」という精神通達が薄れた今、事件について何事かを書きました