世界の測量


 過去に『経度への挑戦』デーヴァ・ソベルとアラン・ライトマンの『アインシュタインの夢』の二冊に愉しんでいなければ、ドイツ最大のベストセラーという触れ込みの本書は手にしなかったと思う
 科学の世紀はまた科学者の世紀でもある その勃興と権勢――発明と発見の歴史を経て、祠の魔道士が燕尾服の科学者となる ケールマンは彼らの黎明期を描く ポップ体の「二人の碩学の冒険と淡い交流を詩情豊かに綴った幻想小説」なるオビではやや不適切、本書はベーオウルフ、円卓の騎士に類する源の物語、権威の神話である コニー・ウィリスは現代のキャンパスライフを宮廷然の地所――聳える尖塔の孤影、語らいの「オープンスペース」、郷を守護する神秘な森――となぞらえ、大学の快活な研究者らが織りなすシェイクスピア風の喜劇をものにした ウィリスの文学的移植が奏功したのは、学者と貴族の両者に共通点が散見されるからだ 俗間と隔絶された(時には一致しない)生活と理論、孤高の存在にかかわらず芸術と文化の担い手 その秘儀、或いは余技が世界を席巻し、隠遁者のルールとファッションが森を越えて王国の民に伝播する――超俗が衆生を牽引した次第 主でありながら躙り口に道化役をあてがわれ、時代を薫化し、時間を拘束する なにより「世襲」ということ 聞けば「日の当たらない研究室」を抜けるには家柄(環境)が必須である由 更に、ハーバード大医学部の入学審査委員会に列なるマーク・ヴォネガットは、粛々と志願者の英知とその作用のみを計るならば、アジア女性でクラスの半分が占められたであろうと言う 「公正なゲーム」、「機会の平等」の謳いはこの程度 文人ティーブンソンは芸術家(生徒)が大成する条件として、まず資本、加えて(界隈の実力者、画商、評論家、市長に対する)影響力、当人のすさまじい精力の三つを挙げた 「集団を決定する原理」は幾人かの数学者の例のごとく、図抜けた才覚を発揮できれば看過される事項ではあるが、貴族社会とて武功をあげた勇猛な(富裕な)下層を釣り上げてきたのだ 学者たちが己の恵まれた出自に関心を失うにつれ、業界の貴人化が進行し……
 ガウスマルクス的逸話もすさまじく無情で、「不機嫌な愁眉」とも称すべき特異な(登場)人物なのですが、やはり本書はフンボルト、憑かれた男の世界ツアー、廉恥の騎士たるフンボルトの巡礼に追随してほしいかなと*1 奇怪なペットと覚え書、雑多な標本(コスモス・ライブラリー)を筏に積み上げ、ガイド(アニメのシンプソンズ仕込みなのかは不明だが、彼らの描写にもそつがない)と悲しみのボンプランを従えた件の地理学者が、アマゾンの急流を滑る章が出色でした アレイ君は見習ってもらいたいです

*1:「旅行をしたがる者もいる。そしてその誰もが後悔する――決して戻って来られないからだ」