「27日後」の余禄


 暴力装置発言に関連して引用されたウェーバーの『職業としての政治』 政治家稼業など一片も頭に浮かばなかった自分は、名物記者列伝等では自慢げに語られる「対象に踏み込まずには情報を得られない――とはいえ、接近する程に、親しくなる程その情報は出せなくなるんだよねー」なる政治記者のジレンマにも言及したこの社会学者の著書(講演)を、寧ろ有権者、記者への戒め、ハクスリー(小説家の方)が教育を未来の担保、保証とした如く、ウェーバーはジャーナリズムを機構の宿痾、欠損部に宛がっているのだなと読んでいた 先の騒動では「暴力装置」を失言として揶揄する、朝日の素粒子をはじめ政局に縛られた記者たちの脆さ、危うさを感じたのでした、とさ 「知識階級とは無意識者の謂(いい)か。新聞社の見識のないことと意気地のないこと。」に通じる話
んで、
記者会見などを」視聴し、「記者やジャーナリストのみなさんは、単に「1万トン」というわかりやすい数字があるから、「鋭く」追及しているだけなのではないかなあ」という気がして、「「鋭く」見えるだけで、全然本質じゃないのでは」、「単にプレス発表が下手なだけ」とする記事についてちょこっと(記者会見は偶々ライブも見てた 録画映像もあるけどまとめツイート東京電力のプレスリリースを参照にしつつ)


 深夜に先立つ4日18:30開始の会見に於いて「2号機のタービン建屋の濃度が、1億倍という事ですので、2号機を1ccだすのであれば、こちらを1万トン出した方がいいと判断したと言う事で宜しいでしょうか」との質疑応答があるように、多寡、(大雑把なものではあるけど)定量的分析によるリスク評価は会見場の記者たちに共有され、理解もされています。
 会見が紛糾(?)したのは、東電が排出理由として、保管場所の余裕がなさそうなので(仮設タンク等が間に合わない)、建屋に「悪さする」からといった説明に終始したからです。毎分の漏出量は記者との応答から出た情報で、5〜6号の建屋水位、タンクの発注日、政府に上げた緊急性の根拠を記者に促されても「確認します」といったありさま。
 件の二人の質問者は海洋投棄の倫理性を問うていたわけではなく*1、比較的低濃度、低水量の汚水排出の緊急性、状況について東電の公式見解の在り処を尋ねていたのです。確たる理由も示せない海洋投棄は法律、国際条約に瀕し、個々の道徳心や科学的知見とは層の異なる(社会正義や価値観、技術と科学、リスクコミュニケーションを成す前段である)民主的手続きの問題であり、改めてその正統性を質されて然るべき行為ですから。
「今後の事を考えて」、「念のため」放射線物質を海洋に放出すると発表され、今さら瑣末な汚染、戦時下だからと心中で慮り、経緯も根拠も質さずスルーすれば、それこそジャーナリスト失格でしょう。また広報担当者は説明する、質疑応答が業務であり、その為に会見に臨んでいるのです。記者は現場の作業員にマイクを突きつけているわけではありません。
 中性子線検出も(はじめは)明かさなかったりと、トラブル隠し、検査記録改竄等の東電の隠蔽体質は事故後も引き継がれ、政治家の「一喝」のみならず、記者らの「鋭い」追及が効を奏す事例も周知されている現状です*2
http://www.fsight.jp/article/10319?ar=1&page=0,1
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/9e2c34998520596c820528d5e2269c6d


 会見は一事業者のサービスに過ぎず、記者への応答義務はない、「私たちが報告する相手は本釆、保安院のはずなのに」なる匿名の政府批判にまで与する人であればともかく――と続く、詮無い話になりそうなのでこれまで

*1:bmコメント:問うたのは行為の是非でなく根拠、政府に示した見解を教えてよと(5、6号状況にも通じる)。是正処置の妥当性確認以前の段で瑣末つう口上はTriageは適切必要だったかの検証での臓器損傷は死亡率が高いつう横槍と同じ

*2:会見の終了近く、他記者が再度5、6号の緊急性について疑義を述べた かような前例があれば、漫然とした応答の裏に深刻な異変が潜んでいるのでは?との不審も宜なるかな