「27日後」の余禄


 暴力装置発言に関連して引用されたウェーバーの『職業としての政治』 政治家稼業など一片も頭に浮かばなかった自分は、名物記者列伝等では自慢げに語られる「対象に踏み込まずには情報を得られない――とはいえ、接近する程に、親しくなる程その情報は出せなくなるんだよねー」なる政治記者のジレンマにも言及したこの社会学者の著書(講演)を、寧ろ有権者、記者への戒め、ハクスリー(小説家の方)が教育を未来の担保、保証とした如く、ウェーバーはジャーナリズムを機構の宿痾、欠損部に宛がっているのだなと読んでいた 先の騒動では「暴力装置」を失言として揶揄する、朝日の素粒子をはじめ政局に縛られた記者たちの脆さ、危うさを感じたのでした、とさ 「知識階級とは無意識者の謂(いい)か。新聞社の見識のないことと意気地のないこと。」に通じる話
んで、
記者会見などを」視聴し、「記者やジャーナリストのみなさんは、単に「1万トン」というわかりやすい数字があるから、「鋭く」追及しているだけなのではないかなあ」という気がして、「「鋭く」見えるだけで、全然本質じゃないのでは」、「単にプレス発表が下手なだけ」とする記事についてちょこっと(記者会見は偶々ライブも見てた 録画映像もあるけどまとめツイート東京電力のプレスリリースを参照にしつつ)


 深夜に先立つ4日18:30開始の会見に於いて「2号機のタービン建屋の濃度が、1億倍という事ですので、2号機を1ccだすのであれば、こちらを1万トン出した方がいいと判断したと言う事で宜しいでしょうか」との質疑応答があるように、多寡、(大雑把なものではあるけど)定量的分析によるリスク評価は会見場の記者たちに共有され、理解もされています。
 会見が紛糾(?)したのは、東電が排出理由として、保管場所の余裕がなさそうなので(仮設タンク等が間に合わない)、建屋に「悪さする」からといった説明に終始したからです。毎分の漏出量は記者との応答から出た情報で、5〜6号の建屋水位、タンクの発注日、政府に上げた緊急性の根拠を記者に促されても「確認します」といったありさま。
 件の二人の質問者は海洋投棄の倫理性を問うていたわけではなく*1、比較的低濃度、低水量の汚水排出の緊急性、状況について東電の公式見解の在り処を尋ねていたのです。確たる理由も示せない海洋投棄は法律、国際条約に瀕し、個々の道徳心や科学的知見とは層の異なる(社会正義や価値観、技術と科学、リスクコミュニケーションを成す前段である)民主的手続きの問題であり、改めてその正統性を質されて然るべき行為ですから。
「今後の事を考えて」、「念のため」放射線物質を海洋に放出すると発表され、今さら瑣末な汚染、戦時下だからと心中で慮り、経緯も根拠も質さずスルーすれば、それこそジャーナリスト失格でしょう。また広報担当者は説明する、質疑応答が業務であり、その為に会見に臨んでいるのです。記者は現場の作業員にマイクを突きつけているわけではありません。
 中性子線検出も(はじめは)明かさなかったりと、トラブル隠し、検査記録改竄等の東電の隠蔽体質は事故後も引き継がれ、政治家の「一喝」のみならず、記者らの「鋭い」追及が効を奏す事例も周知されている現状です*2
http://www.fsight.jp/article/10319?ar=1&page=0,1
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/9e2c34998520596c820528d5e2269c6d


 会見は一事業者のサービスに過ぎず、記者への応答義務はない、「私たちが報告する相手は本釆、保安院のはずなのに」なる匿名の政府批判にまで与する人であればともかく――と続く、詮無い話になりそうなのでこれまで

*1:bmコメント:問うたのは行為の是非でなく根拠、政府に示した見解を教えてよと(5、6号状況にも通じる)。是正処置の妥当性確認以前の段で瑣末つう口上はTriageは適切必要だったかの検証での臓器損傷は死亡率が高いつう横槍と同じ

*2:会見の終了近く、他記者が再度5、6号の緊急性について疑義を述べた かような前例があれば、漫然とした応答の裏に深刻な異変が潜んでいるのでは?との不審も宜なるかな

余禄の余禄BD、或いは500マイルの彼方へ

http://togetter.com/li/113215のブックマークと
いくつかまとめたhttp://h.hatena.ne.jp/d-ff/225882353252080546を再掲、加筆したもの


R・A・ラファティ

子供たちが駅舎の時計、カウベル、叔母さんのマイセン、インディアン墓地から掘り出した白骨等で水分子の居心地をいささか悪くする装置をこしらえる。陶磁の壷はフィナーレで末娘が叩き割る為の演出用。

 出典はもちろん『恐怖の7日間』 品物には『地球礁』の影響もあったかと思う


フィリップ・K・ディック

現場に佇むのはカサンドラのように神経質、カレン・カーペンターなみに細長く痩せこけた能力者の娘。「こんなはずじゃなかったのに!」悲鳴を上げ、娘が両手で顔を覆った瞬間、地上より昇った蒸気の渦が彼女を包む。後に娘はエッシャーのだまし絵のような”ピジョン”に囲まれていたという証言が出る。

『この卑しい地上に』 あとがきかなにかで、自分はファンタジーの書き手としては優秀だったと語っていたような? ピジョンはビジョンのしゃれです 


ヴォネガット(は小話の方がよさそう)

「所長! 良いニュースと悪いニュースが。火星人が敷地内に出現し、作業員全員が防塵服ごと食われました。消防も一人やられたようで……」
「なんてこった、野蛮人どもめ……いったい良いニュースなんてあるものかね?」
「はい、やつらはデザートに燃料棒を欲しがります。お行儀もよく、食後のゲップもなしです」

『追憶のハルマゲドン』に収録されていたジョーク 元ネタはホームレスを貪る宇宙人の小便はガソリンでしたという話


スティーヴン・キング

年老いた男が現れ一切の混乱を収拾するものの、膨大な報酬を支払わなければならない。叩き上げのゼネコン社長が一計を案じ、積み上げたバレル(設置作業中の事故で中学教師が死ぬ)で老人を消し炭にする。めでたし。

 これは特に思い浮かべた作品はなかった 強いて挙げれば『セル』、『スタンド』、『ニードフル・シングス』あたり キングは「知らないことは書かない」を実践する作家で、悪霊退治も魔法瓶に封印したり、暖房の圧力弁を操作したり、あちこちからガソリンを集めたりして済ませる 主に活躍するのも一財産築いた有閑階級(つまり自分自身)だ ちなみにダン・シモンズなら悪魔の裏をかくのは良家の娘だろう


筒井康隆

トンネルが掘られ、選抜隊(斥候)が下っていく。フロイトトムキンス効果により、三人の相貌は、猿、豚、河童にメタモルフォーゼ、暗路は生温かな女体回廊と化し彼らの行程を阻むが――人声いずこ鳴くほととぎす、駆けつけた天皇念仏踊りで窮地を脱す。

 筒井作品は省略でいいかしらん


アーシュラ・K・ル=グウィン

雑木からつぶてが投げ込まれる。次第に数を増し、小雨となってプラントに降り注ぐ。飛来した木の実は瞬時に発芽し、放射状に根を張る。軍が森を掃射、雨だれは止む。こっそり持ち帰った科学者が、「パラドックスな」場を生起させる機能を備えていると見当をつける。まさしくこの実こそが「アンシブル」、星域間即時通信の萌芽であった。凍える救助隊は星の海で迷う。

 こちらも念頭に置いた作品名が挙げづらい 『世界の合言葉は森』、『内海の漁師』とか……別のアプローチもできたと思うが、ちょっと疲れて流れた


ロイス・マクマスター・ビジョルド

デンダリィ傭兵隊がラペリング、対処行動にあたる。マイルズ自身はハッチに足を掛けたところで懇願、説得されて艇内に残り、部下のバイタルチェックに専念した。オペレーションは完了したが、隊員の多くがヴォルコシガン一族が統治する村で余生を送る次第となる。彼の地を「養老院」と揶揄した新入りが半獣タウラに殴られる。

 こちらも省略 シリーズは『メモリー』以来読んでないが(いろいろ失望してもうた)、どうなってるのだろう?


togetterではジョン・スコルジーのやつがシンプルでよかった、笑った
「BD」は、ライヴエイドLIVE AID)で一番感動的だったスピーチはアメリカの農民たちの窮状を訴える彼のそれだった、とも言われたボブ・ディランのこと

15日後


 二週間が過ぎた 世論は平常運転に戻ったのかもしれぬ(朝生は見なかったが) 物量に勝る攻勢隊はすさまじく、消費税率アップは法人税増とセットが常道との論調が一夜でひっくり返った解説者もいたぐらいだからね 自民谷垣党首のエネルギー政策転換への言及がピーク(徒花、両端から燃える蝋燭の一瞬の)だったのかも 原子力安全委の長を務めた男が耐震指針の改訂は「産業界の圧力」で潰されたと証言したそうだ 一山幾らのニュースだが、「ええ」と大仰に驚いてみせる善男善女も現れるだろう――刮目すべきニュース、暗澹たるニュースはむしろこっち
 顧みれば、終戦日記になってるのかな、これ

 ブクマ以下、以上のものを記しておく 五十年後にアメリカ合衆国中西部、片田舎に住むクリストファー少年が、興味深く読んでくれる未来なんて絶対に、徹頭徹尾ない――「絶対」はこう使う


「圧力逃がし弁ですか? 必要ないでしょう」
「住民参加の避難訓練? 面倒事が増えるだけでわ」
ディーゼルが同時にダウンする可能性? メルヘンに解答するのは……」
「外部施設点検簿の記載ミス? 自主点検項目ですからねえ」
「ECCSのデータ改竄? もちろん遺憾です、反省してます。ただ、これは寛大な処分と引き換えに得た情報でして……」
 業界の杜撰な査定、想定が、何に支えられてきたかよく理解できるリンク
 ガルの値が額面通りならば、今回の揺れは設定内に収まったものの、津波によるブラックアウト――その津波の想定値が「5.5メートル」 6メートルの大津波の記録を紐解くまでもなく、10メートルクラスでも1000に1の頻度ではすまない また、阪神淡路大地震以後、地震学者、地質学者ら学会の総意が、現在が静穏期を抜けた大地震の活動期と見ていたのは相違なく、ゆえに国会で警笛が鳴らされ、文科省地震防災対策の冊子に貞観の史料が引かれているわけだ 「千年に一度」の天変地異が群発した九世紀に例える認識も決して珍妙なものではなかったはず IAEAの勧告などおっとり刀に業を煮やした末の末、もはや後塵、三行半の通牒だったわけである
 そりゃ民家に燃料棒や毒蛇を保有し、国内外の警告を無視、先送りしていたら、たとえ民間人でも「想定外で片付けるわけにはいかない」と怒られるだろーよ 血友病治療の権威が述べた弁明の骨子は、我々は製薬会社と医師と患者の安定したスクラムの保持に責任があった、だぞ なるほどそれが社会の仕組み、仕方ない、国民総懺悔で済ませるのかつうね 膨大なコスト? 静岡県知事によれば浜岡原発津波対策を実施することを約束したそうだ 原発事業そのものが成り立たぬ巨大プロジェクトを決裁した中部電力経営陣は、株主から見放されてしまうだろうね もんじゅ建造が九千億らしいから、防護壁や外部電源を高台に再設置するのに一兆ほど掛かるかしらん
 で、ふと思った 太平洋沿岸のある地点に7メートルが押し寄せる事態ではなく、福島原発敷地に押し寄せる高波、最高レベルの外部電源システムを含め一切を喪失させる浸水、その事象を指して「千年に一度」としているのではないかと 2011年3月11日に北陸で一人の赤ん坊が産まれる事前にはじき出す確率と、眠る女児を見やりながら、この子が誕生した確率を算出するのでは趣が異なる 後者のそれは「考慮、想定に値しない」とか「天文学的」といった修飾では役不足、その数値は「この宇宙に出現できない」ものとなるからだ 
 と、レムの架空書評を参照したのは、非常用電源の複数台故障という事態を巡っての「抽象的なことを言われた場合には, お答えのしようがありません」なる答弁がちゃんちゃら理解できないから トレードオフたら以前に、感情を排した冷徹なリスク評価なんて端から放棄していたのだ

 JCO事故の死者はなく、新聞もテレビもなく、高楼の操舵室、重役室がガラスを隔てた清掃員のゴンドラより危険な足場である世界に住む人々が集ったリンク先もあったが、もう時間がないので省略 1995年の地震ではPTSDによる死者、孤独死が、国民的抵抗もなく震災犠牲者として扱われ、その計数が口にされているが、今後は避難の混乱で圏内に置き去りにされ命を失くした者らを――たとえ注釈(関連死)をつけても――原発事故の死者数にカウントし貴重なデータに政治的ノイズを忍びこませる「サヨクの手口」といった言説がこの先席捲するのかもしれない


 最後にブクマ予定稿を二つ 時期を過ぎ、代替地も見つからなかったもの

 自民長期政権時代を懐かしく想うのは、「空母建ててもお釣りがくる思いやり貰って、オトモダチとか殊勝なこと言っといて、レントゲン検診が怖い、退散しますってそりゃ茶番ですわ」つう農水族辺りの失言ー腹芸を見せる議員がいてくれたかもってね。
 薔薇色のペンで書いて良い。人命、資産、信用を失し、長期に渉る負担、停滞を齎しても「総懺悔」「想定外」で免責される先達がついた。懸念は「中国へ行け」クリック隊が対応する。各位臆せず提言し、予算を掻っ攫ってきてほしい。

後に加筆、修正します、そりゃもう

冬の蝶、赤い卵

 予定していた「麗しのクレア」はまたいつか

 これはむかしむかしの話 公共事業の抑制を口にすれば「日本をスラムにするつもりか」と一蹴された時よりずっと前、吉井議員が番組で哄笑される以前、中学生が「規制緩和」という言葉を覚える以前の話 原子力問題――その仕組み、政策を朧気に知り始めた頃の話 何人も責任を負えない無茶はするなと、「ほらみたことかと」と言い放ってやると心に決めた日の話 ネット上でぶちまけるとは想像できなかったし、中身もぶっつけだ(見聞した有名、無名の発言リスト作成は半年ほどで頓挫した) ただし「タイトル」だけはぼんやり定まっていた*1
 NHKのストリーム放送に「マスゴミミンス」の連呼で心の平穏を図ろうと奮闘する者らが群がっていた(記者の名を教えろ! 東電も被害者だ!) 現場の「聖戦」を恭しく掲げる彼らには(非アメリカ市民の志願兵のごとき)従事者の氏名は、いかに言い繕うとも贖罪のイコンの明瞭な刻みに、最終の一刷毛となったであろうに――ざまあみろ 手渡した原発に関する告発書を破り捨てこちらを挑戦的に見返してきた男、自称保守のプロトタイプは「黒歴史」タグを駆使し、当時を苦笑で振り返っているのだろうか? いやまったく、日本のインターネットは残念――な者たちにはうまくできている*2 
 あの頃、原子炉の重篤な事態に言及する業界人の口吻は、まるで飛来した隕石が頭にぶつかる出来事を語るそれだった ヒューマンエラーをも幾重に織り込まれた設計、安全委員会が推進派のみで占められているのは、決してイデオロギーによる分別ではなく、専門知識、科学者としての能力を篩い分けた結果だと言いのけられた 周辺住民の避難訓練すら一利もないと退けられた時代*3、圧力弁は核アレルギー罹患者に向けた配慮であり、鬼子扱いされた時代があった 実際は震度5〜6、7メートルの波が出来すれば*4失われた半世紀が、冬の時代の到来が間近に迫るものの、電力消費の2割(?)削減を請われるぐらいならば――政治家として、学者として、一人の市民として――賭けるに値するというギャンブラーの決意表明に過ぎなかったわけだ 
 自分も四半世紀分年を取った 警告をあざ笑い、重大な過誤をやらかした者を指弾してもせんのないこと 取り返しのつかない現実をたとえ相手に突きつけても、謝罪も弁明もなく、異星人を眺める目つきをされるだけ――個人的にもとうに経験済みだし、今回の事故で飛散した貧困、爪の先から身体をちろちろ焦がし、遂には死に至らしめる恐怖は切実、過酷で、被曝と比しても快適な未来じゃないのは了解している


 読者二名、ものぐさな過去に、みっともない私怨につき合わせた だから最後はジェイルバード、最初に買ったヴォネガットを 

この自伝を書いていていちばん恥ずかしいのは、わたしが一度も真剣に人生を生きたことがないという証拠の数かずが、切れ目なくつながっていることである。長年のあいだにわたしはいろいろな辛酸をなめたが、それらはすべて偶発的なものだった。わたしが人類への奉仕(とまで言わなくても、身近な人への奉仕)のために、自分の生命を賭けたことは、いや、自分の安楽を犠牲にしたことさえ、一度もなかった。みっともない。

*1:『冬の蝶』は核の冬を彷彿させる枯渇する世界を描いた星新一ショートショート。『赤い卵』はスペインのホセ・マリア・ヒロネーリャ作。毒々しい色の卵は腫瘍の暗喩。

*2:別の場所では「サヨク大勝利」なる書き込みを見た。左翼は勝利してはいない。熱い炉の代わりに放水車の前に立つ機会を失してしまったのだからね。あえて勝ち負けを語れば、敗北を喫したのは投稿者。悔しいのか心苦しいのか、手当たり次第にわしづかみ、引き摺り下ろしているお前が負けただけ。

*3:かつてテレビで発電所地域の住民参加の避難訓練の模様(海外の番組)が紹介された際、「我が国では実施されていない」と、当時としては踏み込んだナレーションが流れた。情けないことに心臓が早鐘を打つほどであったが、スタジオ司会者の「(訓練不要なほど)安全だから(原発事業を)やっているんでしょ」というお気楽な一言であっけなく終演。

*4:襲来したのは「千年に一度の地震(連動)」とも記される。その後には千年に一度の強風、千年に一度の雷雨、千年に一度のうっかり、千年に一度の犯罪者、千年に一度の(生産され流通する)パイプ、ポンプ、ナット、導線、灯、メーター……と、長大な免責目録が並んでいる。転がり落ちたあの「赤」は、連続100回目の赤と考えても、黒が99回連続した挙句の赤と思い描いても構わない。しくじったら緑のダブル・ゼロを主張し痛み分けに持ち込む。エド・ソープを超越する必勝理論。

今年の五さつ

 だが今年は片目に怪我を負い読書量が更に減 このままでは読書日記の体裁が繕えぬ(岩波の少年文庫を抱え、うつらうつらと余生を送るのも悪くなかったが)
 レムの創作したピルクス飛行士は、適当に開いたページから小説を読み始めるのが習いである 『市民ヴィンス』の遁世者は自分なりの結末を文中に探し当て、決まって読み終えることなく本を置く こちらは何事か、何者かを見届ける中途で投げ出してしまったもの、この一年積んでしまったうちの五冊を

アントニア・アルスラン『ひばり館』

 トルコによるアルメニア人虐殺、女性と子どもたちに課せられた「死の行進」を描いた小説 本題(回想)に入る前、導入部の少女のあれやこれやで困憊し終了してしまった ピルクス式読書法でやり過ごせばよかったのかも(ジョージーナ・ハーディングの『極北で』は冒頭を最後に回して乗り切った) 本書を再び手にする――再帰する、読了する確率は小

トニ・モリスン『パラダイス』

『スーラ』の次に本書を選んだのは、キング『骨の袋』終盤に通じるホラー、疾走を期待したというまがまがしい理由 ストップした理由は、一章を読み終え、ふわふわしたもので胃が膨満するような――こんな奇矯なエピソードを後何人分読まなきゃいけないのかと憂鬱になったから 読了する確率は大

コーマック・マッカーシーザ・ロード

 のっけから文体に慄き、霜柱がびっしり茂ってしまった 道具立の似た『セル』の影響もあったかもしれない 縁に佇む幼子の登場の後、すっかり悴んだ掌で書を閉じた 『ノー・カントリー』も映画で済ませたし、評判も悪くなさそうなので続きはそちらで 再帰云々は言わずもがな

ダシール・ハメット『ガラスの鍵』

 ハメットの長編を読んだ事がない 『マルタの鷹』はお昼のテレビ映画劇場で、『血の収穫』は愚かしいミステリー案内書のおかげで伏線から結末まで頭に入ってしまっていた(醜悪なイラスト付き) 解説にハメットの最高傑作とある(ジュリアン・シモンズ) 中高時代に入手できていたら、残りページを惜しみつつ読み進んだと思う 最初の(?)死体が登場した場面で置く 読了する確率は五分五分

トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』

 ざんない言い様で申し訳ないが、「肉体が欲する書物」なるもの その年齢、その状況でしか堪能できない読書体験というものがある ひと夏を、冬の喧騒をやり過ごし本書の世界に耽りたかった 現実は小説を手に取るどころか書架に半メートルも近づけずに終わる 十年前なら泣いていたろう 幸福な読者にはなれなかった、遮断されたということ


 足しての一冊は『ヴァージニア・ウルフ著作集』 評論か日記の一節を立ち読み 「キュー植物園」を読んで以来、なぜかウルフの長編は生涯に一冊と決めていて未だに選べない


 自分の日本語は夏目漱石浅倉久志でできている(勿論、使い慣れない言い回しを多用し、都合よく繊細と磊落を抜け口にしているだけ) 浅倉がものにした放胆なほら吹き話、繊細で洒脱なスケッチ――今春の翻訳家の訃報は、自分はとうに折り返し点を過ぎていたのだなとひやりと胸に迫る一報でもあった この国に生まれた喜びを漱石を原語で読める事と説いた松岡譲が、師の急逝に応えたであろう寂寞、喪失感に劣らぬ無残――以後、読書は昔時のよすがとなる 得るものはなく、私の言葉はすべて繰り言である

無邪気な赤毛布ダイアリ御始末


 限定的でもtさんとgさんがリチャードさんの瑕疵を認識しているようなので(書き途中で論議は終了した様子 「誰に話し掛けているわけでもない」風に文を改め、IDをイニシャルに、トラックバックを外し、閑話をふんだんに付け加える) 
 件の記事は学生時代に英文のテキストで読んだ――相手の目を見て会話できないアジア系の少女が周囲から不誠実、やましい、隠し事があると誤解される――オフィスのエピソードに、「静かな声」の史観をまぶして焼き直せばこうなるのかなあと
 これが自分の主観(tさんの主観とは「主従」が逆ですね)
 自分は流暢に日本語を操る外国人、芸能人の知り合いができればなと夢想する子どもだった(今でもゲーリー・スナイダー海老蔵から気さくな賀状が届いたらなんて素敵だろうかと思う) そんな夢の友が頓珍漢な意見を口にしたなら、身の内は発言を聞き逃すため要素を捨象し、解体し、是の度合いを高めるべく奮闘してくれることでしょう ただし、同席した第三者が質した場合は、こねくりあげたぬるぬるを持ち出してまで問いを遮る労は執らない、というか慎まざるをえない 当人が不可解な罵倒を繰り返していたら尚更無理(実際は両者を引き離し、「あの無礼な馬鹿者は」と続く彼の怒り、愚痴が止むまで「うんうん」と曖昧に激昂を引き受けるだろう)
 たとえフィクション、あやしげな回想だろうが、感動にケチをつけられ、程度の低いもののように扱われるのは堪らないといった心情はわかる(ちなみに自分が最も心を動かされた文章は、『冷血』に収録された卑劣な窃盗犯が虚栄心でもって悩める若者にしたためた手紙)

 獄中の男が人々の援助(金品、あわよくば釈放運動まで)を当てにし、社会改良に情熱を傾ける篤信家(婦人?)を騙った詐欺事件の顛末を没後百年のリアリズム作家が書いていた
 不幸な巡り合わせで牢につながれ、暗澹たる囚人生活を経験するが、出所後は心優しき紳士から住まいと職の提供を受け、信仰と周囲の慈愛に庇護された安らかな日々を送る一人の男の生涯――を紹介する篤信家――と、多段構えでこの詐欺計画は実行される
 作家が賞賛したのは、主眼とする獄中にある己への支援を、ほんの付けたし、手記の脚注程度にさらりと忍ばせたぺてんの巧妙さだ
 人づてに知ったパンフに共鳴し、怒りや慈悲を喚起されたキリスト者たちを嘲笑することはできない よそ者だから、ただ貧しいからという理由で牢獄に叩き込まれる人々、悲惨な収容施設の実態――作家の言葉を借りればロシアの農奴並に虐げられた人々と、それに心を痛める市民は現実に存在していたわけです
 しかし、(勿論詐欺師はこんなミスはしなかったが)もしも「看守を嘲ったと難癖を付けられて吊るされた男がいた」、「朝食にトリネコの根が配られる」などとあったら?
「死んだ男の名は?」、「囚人に木の根皮をしゃぶらせ、公金を横領する所長がいたのか」といった確認作業は、貧しき者への共感、社会悪に憤る心情と相反する反応とはならないでしょう*1

「枝葉を透視し、根幹をみつけよ」なるありがたい教えがあるそうだけど、良くできたフィクションほど「枝葉の根幹」を大切にしている 先の米作家も聞き及んだアメリカインディアンの神話にいちゃもんをつけている 通りがかった男が樹上の精霊と会話する一幕で、一枚の布が話の途中で消失してしまうのですね 他は(愛もエコも)一切興味ない、身から外したた布切れは何処へ消えたのか?――地面に落ちのたか、懐にしまったのか、鳥に化身して湖の向こうに飛んでいったのか、何でもいいから始末をつけろと

 否定されているのは「感動」ではなく、不可解な希薄さといったもの(Aさんによれば事実を共有すること)だと思う 自分は歴史をエピソードの積み重ねで俯瞰し済ませる態度、歴史を物語とする手法には惹かれないが、刑死した兵士の真偽は、リチャードさんが開帳した物語(歴史)の根幹であり、まして談論風発を謳うブロガーであれば無下に放擲してはならぬ一枚だ(罵倒で回答を引き伸ばしたせいで、薄衣のパレオどころか身ぐるみ一式となってしまった観がありますが)
 磊落な書き飛ばしであろうが、一計を案じて周囲を固めた軟らかい箇所であろうが、問われた際は慎重に対応しなきゃならぬささくれであったのは相違ない 靖国にまつわる自論、戦犯裁判の評価といった「感慨」とは位相が異なり、裁判記録の確認の有無はその前段、史実に繋がる話(「個人的感情はどうであれ史実は……」は有効でも、「史実はどうであれ……」といった記述が受け入れられる論壇は、内外問わず限られるでしょう) 無宗教(多宗教)の慰霊施設に賛同しようが――たとえ根菜で死刑に処された兵はおらずとも、「戦後不当に辱められた日本軍兵士」という絵はいくらも描けるのだから


http://www.path.ne.jp/inukawa/hedgehog/info/%5B09%5D_01.html#TOP
「ジャパニーズ・サルシファイ」の一言で解決する摩擦と軽く考えていたが、牛蒡(burdock)は雑草!とされる文化圏であるならば、名店の御品書の提示ぐらいは必要なのかしらん

*1:通り一遍の感動に収まらず、より深く分け入るほどであれば、人は実に至る 囚人の陰謀が発覚したのも、より大きく共振した――踊った善男善女の「尽力」が仇だった